大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)53号 判決

原告 株式会社大久保製壜所

右代表者代表取締役 大久保保

右訴訟代理人弁護士 中村健

被告 東京都地方労働委員会

右代表者会長 古山宏

右訴訟代理人弁護士 宮瀬洋一

右指定代理人 渡辺正之

〈ほか一名〉

被告補助参加人 東京東部労働組合 大久保製壜支部

右代表者執行委員長 杉田育男

〈ほか九名〉

右一〇名訴訟代理人弁護士 笠井治

同 重国賀久

同 五百蔵洋一

同 戸谷豊

主文

一  被告が、原告を被申立人、被告補助参加人らを申立人とする都労委昭和五一年不第一〇七号事件について、昭和五九年三月二七日付けでした命令のうち、次の部分に関する請求につき、本件訴えを却下する。

1  命令主文第1項のうち、申立人橋本正利について配転命令の撤回、原職復帰を命じた部分。

2  命令主文第2項(1)のうち、申立人橋本正利と同千葉辰雄について出勤停止処分の撤回及び同項(5)のうち、同人らについて始末書提出命令の撤回をそれぞれ命じた部分。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告を被申立人、被告補助参加人らを申立人とする都労委昭和五一年不第一〇七号事件について、昭和五九年三月二七日付けでした命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  救済命令の存在

被告補助参加人らは、昭和五一年一〇月一五日、被告に対し、原告(以下「会社」ともいう。)を被申立人として不当労働行為救済の申立てをしたところ(都労委昭和五一年不第一〇七号)、被告は、昭和五九年三月二七日付けで別紙命令書のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令書は同年四月二三日原告に交付された。

2  本件命令の内容

本件命令は、原告のした被告補助参加人長崎宏(以下「長崎」という。)、同橋本正利(以下「橋本」という。)に対する昭和五一年七月二二日付け配転命令は、被告補助参加人組合(以下「組合」という。)に対する支配介入であり、北原善成(以下「北原」という。)に対する同年八月二一日付け配転命令は組合員であることを理由とする不利益取扱いであり、更に、原告のした長崎ら一〇名に対する同年一〇月一三日付け懲戒処分及び始末書の提出命令は、組合員を不利益に取り扱うと共に、組合の弱体化を意図したものとして、いずれも不当労働行為に該当するというのである。

3  本件命令の違法

本件命令は、事実認定を誤り、法律の解釈適用を誤った違法なものであり、取り消されるべきである。

(一) 本件命令書理由欄記載の「第一認定した事実」のうち本訴に関係のある部分に対する認否

(1) 1の事実は認める。

(2) イ 2の(1)の事実は否認する。

ロ 同(2)の事実は認める。

ハ 同(3)の事実のうち、従前原告が「公休」(「一般休日」)を指定していたことは否認するが、その余の事実は認める。

就業規則上、交替制勤務者の休日は勤務割によると規定されており、公休は勤務割表により定まるものである。

ニ 同(4)の事実は認める。

ホ 同(5)①の事実は認める。

同(5)②のうち、アの事実は認める。イのうち、能登谷課長代理が被告補助参加人杉田育男(以下「杉田」という。)の兄に対し、「あなたの弟は過激派に扇動されている」「早く組合をやめさせた方がいい」などといったことは否認するが、その余の事実は認める。ウのうち、機関紙の会社構内無断配布について、原告が組合に警告書を発したことは認めるが、ビラ等の無断配布は、就業規則によって禁止されているためである。

(3)イ 3の(1)の①ないし③の事実は認める。

同(1)の④のうち、アの事実は否認する。長崎の配転先である製壜課では、二名退職、一名転出に対して三名が転入したことにより、欠員が補充された。イのうち、原告が長崎に対し見習工の業務を担当させていることは否認するが、その余の事実は認める。

ロ 同(2)の事実は認める。

(4)イ 4の(1)の事実は認める。

ロ 同(2)①のうち、アの事実は認める。ただし、大久保次長と有志代表の間では、押し問答がくり返されたなどという生易しい状況ではなかった。

イの事実は認める。ただし、大久保次長は能登谷、川上の両課長に救出されて漸く難を逃れることができたものである。

ウの事実は認める。ただし、有志代表の発言は罵声を浴びせたなどという生易しい状況ではなかった。

エの事実は認める。ただし、組合員らは、能登谷課長を取り囲んで壁に押しつけ、暴行脅迫を加えて吊し上げたあと、同課長が救出されて囲みから逃れ事務所に入りドアに施錠をしたにもかかわらず、錠を破壊して同所に侵入したものである。

オの事実は認める。

カの前段のうち、二六日朝改めて、二七日午前七時まで抗議ストを行う旨会社に文書で通告したこと及びカの後段の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

ハ 同(2)②の事実は認める。

ニ 同(3)の事実のうち、注1にあるように、各処分事由が就業規則九四条三、一三、一六各号のいずれかに該当するかが明らかでないことは否認するが、その余の事実は認める。

長崎、被告補助参加人千葉辰雄(以下「千葉」という。)、同鈴木銀一郎(以下「鈴木」という。)及び同羽野澄夫(以下「羽野」という。)の九三条二、三号の該当行為は、当日の三部勤務を無断で欠勤し所定の手続を怠ったことである。

黒崎徹(以下「黒崎」という。)及び被告補助参加人柏崎勇七(以下「柏崎」という。)の九四条三号の該当行為は、当日の二部勤務中に無断で職場を離脱したことである。

九四条一三、一六号及び九五条五、一一、一二号は当日の参加者全員に適用があり、九四条一三号の該当行為は、石川係長に対する「韓国に行って女を抱かされて……」の発言と能登谷課長に対する「人間じゃないといった」という虚偽の流言であり、一六号該当行為は、会社構内及び二階事務所からの退去命令違反行為である。また、九五条五号該当行為は、九四条一三号該当行為と、九五条一一号該当行為は九四条一六号該当行為といずれも同じであり、九五条一二号該当行為は、能登谷課長に対する階段踊場における暴行行為及び脅迫的言辞をさすものである。

(二) 長崎、橋本及び北原の配転について

(1) 原告は、薬用壜、化粧品用壜の製造を業としているが、昭和五一年七月ころから取引先より不良品の返品が相次ぎ、会社存立にもかかわる非常事態に直面したが、右非常事態に対処するため及び退職者と欠員を補充するため、同月二二日及び同年八月七日の二度にわたり、全社的に配転を実施した。その詳細は次のとおりである。長崎らに対する配転もその一環としてされたもので、同じ工場内で同じ建物内における職場の変更にすぎないものであり、かつ、団体交渉においても十分な話合いを経たものであるから、不当労働行為の問題が生じる余地のないものである。

[配転先の作業が異動前と異質のもの]

異動………長崎、橋本、石坂、中沢、川畑、小原、小笠原、高村、大網、北原、工藤、山口、前田。

昇格異動…松崎、吉村。

[配転先の作業が異動前と同質のもの]

異動………山田、池田、柴崎、姫野。

昇格異動…北岸。

昇格………木下、能登谷、川上、大竹、福西。

呼称変更…大久保、鈴木、石川、本宮。

(2) 原告における壜の製造工程は、①主原料、副原料の混合(技術部技術課調合)、②混合材料の連続熔融窯による熔解(技術部技術課熔解)、③金型による壜の成形(製造部製壜課)、④製品の検査及び製品の箱詰め(管理部検査課)に分かれ、右工程を補助する部門として、①機械等の分解、油洗い、補修、組立て、型替え、各種設備の増改修(技術課工作)、②成形時に使用する金型の修理(技術課金型仕上)、③成形時に使用する金型の設計(技術設計)がある。原告は、前述のような非常事態に対処するため、検査課の組編成の編成替えを実施すると共に、原料の調合部門、成形部門及びこれに直接関連する技術課の工作部門の充実を図ることを決定し、とりあえず、欠員の補充を行うこととし、従業員の配転を決定し実施した。

壜の成形部門である製造部製壜課成形においては、当時二名の欠員を生じていたので、管理部検査課より長崎、金型設計より石坂の二名を配転させ、また、補助部門の一つである技術部技術課工作においては一名の欠員を生じていたので、検査課より橋本を配転させた。当時原告には従業員の約四三パーセントに及ぶ障害者が働いていたが、適応能力の関係で職場への人的配分が極度に制約されていたことから、検査課に配属中の健常者三名(長崎、橋本、黒崎)を配転の対象とせざるを得なかったもので、そのうち一名は、組合活動上の便宜をも考慮して検査課に残し、長崎と橋本を配転させたものである。また、技術課調合においては、欠員一名のところに有経験者を補充することとし、北原を検査課より配転させた。

(3) 被告は、配転後の長崎に対して見習工の作業に従事させているかのようにいうが、原告には見習工という職種はなく、長崎を見習工としているわけではない。長崎は、その能力を生かそうとした原告の期待に反して、勤労意欲に欠け、欠勤日数も多く(昭和五二年から五八年までをみると、年休を除いた欠勤日数は、少ない年で一九日、最も多い年では一七三日に達する。)、一人前の製壜工としての技能を習得しないため、やむなく補助的な作業に従事させている。

(4) また、被告は、橋本に対して数年間雑用を担当させたというが、同人の配転先では、機械の組立てなどの本来の作業に必要な技能を習得するまでは、部品の油洗い、物品の運搬、型替えなどの補助的な作業を担当するのが通常であって、誰もが通過する一つの過程である。橋本は、配転当初は勤労意欲に欠け、上司に対しても非常に反抗的であったが、次第に仕事にも慣れて勤労意欲も通常人並みになったので、ガス熔接の講習を受けさせた上、昭和五四年から同人を一人前の仕事につけている。

(三) 長崎らに対する懲戒処分について

(1) 前記のように、原告では昭和五一年七月ころから品質不良を理由とする返品が相次ぎ、取引先から、品質向上のための具体的な改善方法の提示を要求され、立入調査を受けるという事態となった。品質の低下は製造部門に直接の原因があるにしても、最終的には、検査部門で不良品を完全に排除することを当面の課題とし、その対策を検討した。そして、当時三組三交替制をとっていた検査課において、機械化の達成と共に四組三交替制の採用などの抜本的方針を立て、これに要する六か月の期間、非常態勢下の暫定措置として、検査課三組の能力の均等化を図るため検査課の組編成替えを企画し、昭和五一年九月一八日新しい組編成表を掲示した。

ところが、組合がこれに反発し、組合員らが管理職を取り囲み、抗議と称して吊し上げを行ったため、検査課の各組員に内容を周知させるための組長に対する説明も十分に行うことが不可能となった。しかし、原告としては、いたずらな紛争を避けるため、組合に対して正式に団体交渉の申入れがあれば受ける用意がある旨を文書で通告したところ、同月二二日、検査課従業員有志代表杉田育男名義で団体交渉の申し入れがされた。これに対し、原告は、従業員有志とは団体交渉は開かないが、苦情処理として、出席者を五名以内とし、その氏名を同月二四日までに原告に提示することを条件に、同月二五日に説明会を開く旨を回答した。しかし、同日朝になっても原告が要求した出席者の氏名の提示がなかったため、原告は、従業員有志は説明会への出席を中止したものと判断し、以前から予定していた会議を開催することとした。ところが、同日午後四時五五分ころ、組合の組合員らが大挙して押しかけ、団体交渉や説明会を求めて騒ぎ、会社構内からの退去命令を無視して集団で事務所になだれこみ、同日午後一一時ころ原告が排除するまで長時間にわたって不法に滞留し、その間、管理職に対し暴行及び脅迫的言辞をほしいままにするなど、原告の業務を阻害したものである。その詳細は、被告の「認定した事実」の4の(2)の①及びこれに対する認否として前述したとおりである。

(2) 原告と組合の間では、当時は正常な労使関係が継続しており、右組編成替えについても、団体交渉による解決が可能であって原告がこれを促していたにもかかわらず、組合は検査課の従業員有志による団体交渉の要求という戦術をとった。原告においては、組合のほか、大久保製壜所労働組合(以下「大労組」という。)があり、原告としては二組合との交渉で諸問題を解決してきたから、右従業員有志との団体交渉は必要がないと判断して拒否し、苦情処理として説明会を開催する旨を通告したものである。また、原告が説明会への出席者の氏名を明らかにすることを求めたのは、説明会の開催予定時刻が就業時間内であるため、出席者を予め把握することが業務遂行上必要不可欠であったためである。しかるに、出席者についての回答がなかったため、原告は他の行事予定を入れたものであり、原告の判断、措置に何らの違法、不当はなく、前記組合員らの行為の違法であることは明らかである。

(3) 原告は、前記組合員による違法行為につき、企業秩序維持のため、各人ごとに責任の軽重と情状を考慮した上、就業規則に照らし、出勤停止、減給、始末書提出、班長解任、組長解任の各懲戒処分を決定したものであり(各人に対する処分内容と処分事由は、被告の「認定した事実」の4の(3)の一覧表のとおりであって、これに対する就業規則の適用条項は次のとおりである。)、不当労働行為の問題が生ずる余地は全くない。右懲戒処分をもって不当労働行為に該当するとする被告の判断は、暴力行為を正当な組合活動として容認するに等しく、到底承服することができない。

長崎…………………九三条二、三号、九四条一三、一六号、九五条五、一一、一二号

橋本…………………九四条一三、一六号、九五条五、一一、一二号

黒崎、柏崎……………九四条三、一三、一六号、九五条五、一一、一二号

鈴木、羽野、千葉…九三条二、三号、九四条一三、一六号、九五条五、一一、一二号

石井、善場、杉田…九四条一三、一六号、九五条五、一一、一二号

4  本件命令後の事情変更

(一) 橋本は、昭和六一年一〇月三一日付けで原告を自己都合により退職した。

(二) 原告が千葉に対し昭和五二年三月二八日付けで別件の非違行為を理由に懲戒解雇をしたところ、同人が右解雇の効力を争い、東京地方裁判所に対し地位確認請求訴訟を提起したが、請求棄却となり、控訴審では控訴棄却、上告審においても昭和六〇年一二月二〇日上告棄却となり、同判決は確定した。

(三) したがって、橋本、千葉の両名は原告の従業員ではなくなったから、本件命令中、両名に関する部分は、これを維持すべき根拠を失った。

よって、原告は、本件命令の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。同3は争う。同4(一)(二)の事実は認める。

2  本件命令は、適法な行政処分であり、その理由は別紙命令書理由欄記載のとおりであって、被告の認定した事実及び判断に誤りはない。

三  被告補助参加人らの主張

1  配転に関する原告の主張によれば、異動前と異質の作業を行う者で昇格でない配転者が一三名いるかのようであるが、その中には、役付者三名、昭和五一年七月二二日付け配転の対象ではなかった北原及び研修中の新入社員であった川畑の合計五名が含まれており、正確でない。しかも、残余の八名についても、出向者が三名(小笠原、高村、大網)おり、その出向者を含む精神薄弱者四名を除くと、健常者である一般従業員の異動は実質四名(長崎、橋本、石坂、中沢)に止まり、その上、中沢は元の職場に戻ったにすぎないことに照らすと、本件配転が組合員である長崎と橋本を狙い撃ちしたことが明らかである。なお、橋本の配転先は、従前の職場と同一の建物中にはない。

2  原告は、長崎の配転先である製壜課成形では、二名退職、一名転出に対し、三名が転入したことにより欠員が補充されたと主張するが、右配転の際同課からは中沢、工藤の二名が転出しており、欠員は補充されていない。なお、原告は、その作成にかかる労災補償保険療養給付請求書に長崎の職種を「製壜見習」と表示しており、実態として見習業務に付けたままであることは否定できない。また、長崎の欠勤は、労働委員会における調査、審問や労使間に係属した訴訟への出頭及び労災による入院等によるもので、勤労意欲の欠如によるものではない。

3  昭和五一年九月二五日に発生したトラブルは、被告が認定するとおりであって、原告には、新勤務体制の発表・実施とそのための団体交渉の諾否、或いは説明会実施の可否について、大きな落ち度があったことは否定できない。原告自身、新勤務体制が労働条件に影響を与え、労働者に従前以上に負担を強いるものであることを知っていたのである。したがって、大労組及び組合双方の組合員を含む検査課従業員が、検査課有志として団体交渉を申し入れたのに対し、これに応じる義務があったというべきである。その団体交渉拒否は不当であり、それは組合に対する予断と偏見に起因するものである。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1、2の各事実は、いずれも、当事者間に争いがない。

二  本件命令後の事情変更

1  救済命令の取消訴訟において命令を取り消すべき違法事由があるかどうかの判断は、命令の発令時を基準としてされるべきであるから、命令の発令後に事情の変更が生じたとしても、原則として、命令そのものを違法とする事由には当たらない。しかし、救済命令の発令後に事情の変更が生じたことにより、命令の基礎が失われてこれを維持する必要性がなくなったと認められる場合には、使用者に対して公法上の義務を課することを内容とする救済命令は、その拘束力を失い、訴訟上これを取り消すべき実質的利益がなくなったものとして、訴えの利益を欠くに至ると解するのが相当である。

2  これを本件についてみるに、本件命令の発令後に、橋本が自己都合で退職し、また、千葉が提起した懲戒解雇の効力を争う訴訟において請求棄却の判決が言い渡されて確定したことは、いずれも、当事者間に争いがないから、右両名については、本件命令の発令後に原告の従業員としての身分を喪失するという事情の変更が生じたことになる。そうすると、本件命令の主文第1項のうち橋本について配転命令の撤回、原職復帰を命じた部分、主文第2項(1)のうち橋本と千葉について出勤停止処分の撤回を命じた部分及び同項(5)のうち同人らについて始末書提出命令の撤回を命じた部分は、いずれも、命令の基礎が失われてこれを維持する必要性がなくなったと認められるから、本件命令のうち右部分の取消を求める請求については、本件訴えは、訴えの利益を欠くものとして却下されるべきである。これに対し、橋本、千葉に係る本件命令のその余の部分、すなわち、主文第2項(4)の懲戒処分がなかったとすれば受けるはずであった諸給与相当額の支払を命じた部分及び主文第3項のポストノーティスを命じた部分は、右退職及び懲戒解雇によって本件命令の基礎が失われて維持の必要性がなくなったとはいえないから、これが取り消されない限り、依然としてその効力は失われないというべきである。

三  原告の概況及び組合結成前後の状況

原告の概況及び組合結成前後の状況は、次のとおりである。個別に証拠を掲げて認定した事実のほかは、全て当事者間に争いのないところである。

1  原告は、薬用壜の製造、販売を主たる業とする会社で、昭和五一年当時の従業員数は約一四五名であり、内訳は、健常者八三名、身体障害者二七名、精神薄弱者三五名であった。原告には、薬用壜の製造工程に即して、原料の混合・熔解を行う技術部技術課、金型で壜を成形する製造部製壜課、製品の欠け、口径などの規格、寸法の検査と検査済み製品の箱詰めを行う管理部検査課の各部署があり、他に、補助部門の一つとして、機械等の分解、油洗い、補修、組立て、型替え、各種設備の増改修を行う技術部技術課工作があった(技術課工作については、《証拠省略》によって認めることができる。)。

右のうち管理部検査課(以下「検査課」という。)には、当時、約五五名の従業員がおり、内訳は、健常者一三名、身体障害者一九名、精神薄弱者二三名であった。長崎、橋本は、いずれも、検査課に所属する健常者であった。

2  原告には、昭和四九年二月に健常者及び一部の身体障害者約八〇名で組織した大労組があり、検査課所属の身体障害者の中にもこれに所属する組合員がいた。昭和五〇年六月二四日、大労組は、検査課所属の組合員らの求めに応じ職場集会を開催したが、入社して間もない長崎、橋本の両名も、誘われて右集会に参加し、組合員らの発言に呼応して、大労組を批判する発言を行った。ところが、原告は、その直後である六月二七日付けで、長崎、橋本及び同時に入社した黒崎の三名に対し、試用期間満了を理由として解雇通告をしたが、双方の話合いの結果、同年七月二日に右解雇通告を白紙撤回した(白紙撤回の経緯は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

3  長崎、橋本の両名は、同年一〇月ころ、他の検査課所属の従業員らと共に同課の職制と話合いを行い、当時原告が従業員の有給休暇の取得を一方的に指定していたのを取り止めさせるなどのことがあったが、右両名を含む検査課従業員は、昭和五〇年の年末一時金要求に際し、健常者、身体障害者、精神薄弱者間の乗率格差が問題となったのを契機として、昭和五〇年一二月三日、大労組とは別に本件の組合を結成するに至った。

組合は、健常者と心身障害者との差別をなくし、仲間を大切にして労働条件の向上を図ることを目的に掲げてスタートしたが、その主たる構成員は心身障害者であって(身体障害者一三名、精神薄弱者二〇名)、健常者は長崎、橋本及び黒崎の三名にすぎなかった。そして、長崎が副執行委員長、橋本が書記次長(後に書記長)、黒崎が会計に選出されたが、特に、長崎、橋本の両名は、心身障害者と同じ職場にあって組合の中心的地位と役割を占めていた(ほかに、杉田が執行委員長、千葉が書記長、北原、柏崎、羽野が執行委員、被告補助参加人善場伸一郎(以下「善場」という。)が会計に選出された。)。

4  昭和五〇年一二月八日、組合と会社は、労政事務所の立会いで年末一時金について団体交渉を行い、組合の要求どおり、健常者と心身障害者間で乗率格差のない一律二か月の内容で解決したが、その際、「会社は、組合活動の自由を保障し、今後における労働条件や組合からの諸要求については、速やかに誠意をもって話合いを行い、円満に解決するよう会社及び組合は努力する」ことなどの条項を含む協定を締結した。

5  ところが、昭和五一年一月から三月までの間に、精神薄弱者の組合員一四名が上京してきた親らによって会社から連れ戻される出来事があったが、これは、原告が組合員である精神薄弱者の親らに対して働きかけをしたことによるものであった。また、同年三月には、当時の能登谷人事部課長代理は、組合執行委員長である杉田の兄に対し、杉田がアパートを賃借した際の保証人を辞退したい旨を告げると共に、杉田に組合を辞めさせるように申し入れた(組合を辞めさせるように申し入れたことについては、《証拠省略》によって認めることができ(る。)《証拠判断省略》)。

6  昭和五一年四月二一日、原告は、組合が春闘要求に関する記事を掲載した機関紙「だんけつ」を三回にわたって発行し配布したことをとらえ、「構内において許可なく密かに配布し、社内に不安と動揺を惹起させ」ているなどとして、組合に対し警告書を発した。

四  長崎、橋本の配転について

1  長崎、橋本の配転の経緯は、次のとおりである。個別に証拠を掲げて認定した事実のほかは、全て当事者間に争いのないところである。

(一)  長崎は、昭和四九年一月に入社したが間もなく退職し、その後、昭和五〇年四月に再入社して検査課に配属された。同課の従業員の大部分は身体障害者と精神薄弱者であって、長崎は、数少ない健常者の一人だけでなく、大学の社会福祉学科を卒業したこともあって、入社の当初は原告から身体障害者の面倒をみて欲しいといわれていた。橋本は、昭和四九年一月に入社したが間もなく退職し、その後、昭和五〇年四月に再入社して、同じころに入社した長崎、黒崎と共に、検査課に配属された(長崎の卒業学科と入社当時の状況は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

(二)  原告は、昭和五一年七月二二日付けで、長崎に対して製造部製壜課(以下「製壜課」という。)への配転を、橋本に対して技術部技術課工作(以下「技術課工作」という。)への配転をそれぞれ命令した。これに対し、長崎、橋本の両名は、右配転に異議を留めて配転先の職場に移ったが、同年七月二四日に開催された団体交渉において、原告は、右両名の配転が組合破壊の意図で行ったものではないと答えると共に、今回の異動は総勢二八名の規模で欠員補充と職場の充実を図るために行ったものであるとして、両名の配転を考え直すように求める組合の要求を拒否した。

(三)  しかし、同年七月二二日付け配転によると、製壜課には長崎のほかに、石坂、吉村の二名が転入したが、同課には退職者二名がいた上に工藤、中沢の二名が転出したため、結局、欠員一名は補充されず、技術課工作では、橋本の転入により欠員が補充されたが、技術課全体としては一名減員となった。また、右配転の内訳をみると、二八名のうち、異動前と同質の作業に従事する者が一四名おり、そのうち役付者が一一名、心身障害者が三名である。それ以外の者は異動前と異質の作業に従事することになるが、うち二名は、役付者の昇格異動である(この段落は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

また、原告が異動前とは異質の作業への配転であると主張する一五名のうち、北原は七月二二日付け配転の対象者ではないし、工藤、山口、前田は役付者であり、川畑は研修を終了したばかりの新入社員であって、新たに配属が決まったに止まるものである。更に、小原、小笠原、高村、大網は、いずれも精神薄弱者で異動後も単純作業に従事し得るにすぎない。結局、健常者である一般従業員の異動は、長崎、橋本、石坂、中沢の四名に止まり、しかも、中沢は、製壜課から管理部に異動したものであるが、管理部長付きへの昇格であることに加えて、検査係長の経験があることからすると、元の職場に戻ったにすぎないとみてよいものである(この段落は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

(四)  長崎の配転先である製壜課は、熔解された原料を金型に入れて壜を成形する専門的な技術を要する部門であって、製壜工として一人前になるには、大体四、五年の経験を必要とする。ところが、長崎は、前記のとおり、社会福祉学科を卒業した者であって、製壜工としての経験は全くなく、原告も、本件命令に至るまでの七年余の間、補助的な業務に従事させているのみで、他の従業員と同様の業務には従事させていない。また、橋本の配転先である技術課工作は、もともと補助的な部門の一つであるが、正作業に従事するには相応の熟練を要するものである。ところが、橋本は、最初の入社時に当時の整備課に所属したことがあるものの、特別の経験はなく、原告も、当初の数年間は、部品の油洗いや他の従業員の補助的作業に従事させ、その後漸く、他の従業員と同様の業務を担当させるようになった(この項は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

(五)  検査課と製壜課とは隣合わせに位置しており、検査課と技術課工作とは同じ構内にあるが、七月二二日の配転後、原告は、検査課を含む各課の従業員休憩室に、その課の従業員以外の立入りを禁止する旨の張り紙を掲示した(この項は、《証拠省略》によって認めることができる。)。

2  右の事実を基礎として、長崎及び橋本の配転が不当労働行為に該当するかどうかを検討する。

(一)(1)  まず、就業規則には、「業務上必要あるときは、従業員の転勤・出向・転籍または職場の変更を行う。」と規定されているから(一一条一項)、原告は、従業員に対して、業務上の必要に応じその裁量に基づき職場の変更である配転を命ずることができるものと解される。もっとも、配転であるからといって絶対かつ無制約のものではなく、それが不当労働行為に該当する等の特段の事情がある場合には、裁量権の行使が制約を受け、配転が許されないものとなることは、いうまでもないところである。そして、配転が不当労働行為に該当するかどうかは、企業の合理的運営の見地からする配転の必要性、人員選択の合理性と配転により当該従業員や所属する組合の被る不利益、使用者の反組合的意思の存否、程度等を総合的に考慮して判断すべきである。

(2) これを本件についてみるに、七月二二日付け配転について、原告は、まず、退職者と欠員を補充するため、全社的規模で実施したものであると主張する。しかし、前述したところから明らかなように、右配転の対象者は、役付者又は役付きへの昇格者が一六名で圧倒的に多く、一般従業員でかつ健常者の異動は長崎、橋本を含む四名に止まる上、そのうちの一名は昇格者で、しかも、元の職場に戻ったにすぎないものである。また、製壜課では、退職者と転出者が各二名ずつあったが、転入したのは長崎を含む三名に止まり、原告の主張する欠員の補充はされていない。更に、技術課工作では、橋本の配転により欠員は補充されたが、技術課全体としては一名減員のままとなっている。したがって、七月二二日付け配転を全体としてみると、退職者と欠員を補充するためのものであったと解することには、疑問がある。

(3) また、原告は、配転の理由として、相次ぐ不良品の返品に伴う非常事態に対処するためであったと主張するが、長崎についてみると、同人は社会福祉学科の卒業者で製壜課の経験は全くなく、しかも、一人前の製壜工になるには四、五年を要するというのであるから、同人の配転が右のような非常事態に役立たないものであることは一見して明らかである。そして、原告が、長崎に対し、配転後本件命令に至るまでの七年余の間、補助的な仕事にしか従事させていないことを併せ考えると、長崎の配転については、業務上の必要性も人選の合理性も認めることができない。

(4) 更に、橋本についてみると、同人は、入社当初に整備課で工作の仕事に従事したことはあったが、短期間であって、正作業に従事するには技術的な熟練を要するというのであるし、もともと、技術課工作は、製壜課における壜の成形及び検査課における欠陥品の発見という一連の工程からみると、補助的な部門であるから、橋本の配転が不良品の発生防止という当面の課題には、速効的な効果を期待し得ないものであることが明らかである。したがって、橋本の配転についても、業務上の必要性及び人選の合理性を認めることは困難である。

(5) 他方、組合は、検査課の従業員をもって組織されたもので、組合員の殆どが身体障害者と精神薄弱者からなり、健常者は長崎、橋本のほかは一名しかなく、しかも、長崎は副執行委員長、橋本は書記次長の要職にあって、組合の中心的地位と役割を占めていたことは、前述したとおりである。

(二)  以上の諸事情及び前記認定の組合結成前後の状況を併せ考えると、原告が長崎及び橋本を配転したのは、組合の中心的役割と地位を占めている健常者の両名を組合の基盤である検査課から遠ざけることによって、検査課における心身障害者である組合員の組合活動に打撃を与え、団結意思を喪失させようとしたものと認めるほかなく、したがって、右配転は、組合に対する支配介入に当たり、労組法七条三号の不当労働行為に該当すると解するのが相当である。

五  北原の配転について

1  当事者間に争いのない事実によると、北原の配転の経緯は、次のとおりである。

(一)  北原は、昭和四二年三月に入社し、一時は、技術課で調合の業務に従事したことがあったが、その後の約七年間は、検査課で検査の業務に従事しており、年令も五八才で定年に近く、組合結成以来の執行委員であった。同人は、入社前の昭和四〇年五月に交通事故に遭遇して左半身が不随であり、外傷性てんかんを患っていたが、検査課では格別の支障もなく業務に従事していた。

(二)  原告は、昭和五一年八月七日、北原に対して、同月二一日付けで技術課調合への配転を命じた。調合の業務は、溶鉱炉の側で防塵マスクを着け、二〇ないし三〇キログラムの重量のある袋から副原料のカーボン等を取り出して混ぜ合わせ、これを約四キログラムに小分けしてバケツに入れ、一日七〇ないし八〇個を持ち運ぶものである。そのため、組合と北原は、団体交渉において、同人の体力に照らして右業務には耐えることができないとして撤回を申し入れたが、原告は、これを拒否し、逆に緊急性があるとの理由で同月八日から調合の業務に従事させた。

(三)  その後、組合は、再三、同人の診断書を添えて配転の撤回を求めたが、原告がこれに応じなかったため、北原は、引き続き調合の業務に従事していたところ、昭和五三年二月二四日、利き腕である右肩に障害を起こし、そのため、労災の認定を受けて療養した後、同年一〇月二五日、定年退職した。

2  右の事実を基礎として、北原の配転が不当労働行為に該当するかどうかを検討する。

(一)  就業規則の一一条一項に「業務上必要あるときは、従業員の転勤・出向・転籍または職場の変更を行う。」と規定されているから、原告は、従業員に対して、業務上の必要に応じその裁量に基づき職場の変更である配転を命ずることができること、しかし、配転であるからといって絶対かつ無制約のものではなく、それが不当労働行為に該当する場合には、裁量権の行使が制約を受けること、そして、配転が不当労働行為に該当するかどうかは、企業の合理的運営からする配転の必要性、人員選択の合理性と配転により当該従業員や所属する組合の被る不利益、使用者の反組合的意思の存否、程度等を総合的に考慮して判断すべきこと、以上の点は、前項で述べたとおりである。

(二)  これを本件についてみると、前述したところによれば、北原は、過去に調合の経験があるとはいえ、約二年の短期間であって、これを離れてから長期間を経過している上、年令も定年近くで心身に故障があり、一方、調合の業務は、検査課に比べてはるかに作業環境が厳しく、肉体労働を必要とするものであることが明らかであるから、北原の人選に合理性を認めることはできない。しかも、不良品の除去という非常事態に対処するために調合部門を充実強化する緊急性があったとも認められないから、たとえ調合部門には従前から欠員があったとしても、予定を繰り上げてまで北原の配転を実施すべき必要性があったとは、到底、いうことができない。

(三)  そして、右の事情に前述した組合結成前後の状況を総合すれば、北原の配転は、同人が組合員であることを嫌悪して行った不利益取扱いであるというほかなく、したがって、労組法七条一号の不当労働行為に該当すると解するのが相当である。

六  九・二五トラブルについて

1  九・二五トラブルまでの経緯、内容は、次のとおりである。個別に証拠を掲げて認定した事実のほかは、全て当事者間に争いのないところである。

(一)  原告においては、原料の熔解に連続熔融窯を使用していることから、製造関係の各部署では、当時、三組三交代制(七時から一五時までを一部、一五時から二二時までを二部、二二時から翌朝七時までを三部とする勤務時間をA、B、Cの各組がほぼ一週間ごとのローテーションで交代勤務する体制)による二四時間操業を行っていた。しかるところ、原告は、昭和五一年九月一八日、検査課における一〇月度の勤務割表(九月二一日から一〇月二〇日までのもので、以下では、この勤務割表による勤務を「新勤務体制」という。)を発表した。その内容は、三組三交代制のもとで、各組メンバーの編成替えを行った上、公休は会社が指定する、三部勤務者は、三分勤務の間、公休も有給休暇もとらない(その結果、七日間連続勤務となる)、有給休暇は、一部及び二部勤務の日曜、月曜、火曜以外の曜日に取得するなどというもので、従前と比較すると、公休、有給休暇の取得が著しく制限され、かなり厳しいものであった。

(二)  この新勤務体制に対しては、大労組の組合員を含む検査課の従業員だけでなく、A、B、C各組の組長も反対を表明したが、原告は、組長や繰り返し説明を求める従業員らに対して十分な説明をすることなく、新勤務体制は業務命令である旨を強調するに止まった。そして、原告は、九月二〇日、組合に対し、新勤務体制に関して、「去る八月度に取引先より品質不良による返品が多発するに至ったので、社運をかけた緊急かつ抜本的な最小限度の改善策として、検査課における検査工程の組編成を改めたものである」とする通告書を発すると共に、その中で、正規の手続きをとれば異議或いは要請等に応ずる意思があるとしつつ、「組合員らは、一八日、一九日の両日、無断で社内に侵入し、検査課職制に対し交渉を強要し、集団で職制の吊し上げを行う等、不法な言動を繰り返した」として、組合を非難した。新勤務体制は、発表どおり、九月二一日から実施された。

(三)  九月二二日、約一〇名の組合員を含む大労組組合員及び非組合員の合計二五名からなる「検査課従業員有志」は、有志代表者一〇名(組合員九名、大労組組合員一名。以下「有志代表」という。なお、後者の一名は、九月二四日に大労組を脱退して組合に加入した鈴木である。)を選び、「代表杉田育男」名義で、原告に対して新勤務体制についての団体交渉を申し入れた。これに対し、原告は、同日、「従業員有志とは団交は行わないが、九月二五日午後五時から説明会を開催する。従業員有志の出席者は五名以内とし、その名前を九月二四日まで原告に提示すること」という趣旨の回答をした。

(四)  一方、原告は、組合を中心とした右のような動きとは別に、大労組との間で、新勤務体制をめぐって、九月二一日に説明会、翌二二日に労使協議会を開催し、その中で、原告は、新勤務体制に無理があることを認め、長期間続けるつもりはないこと、公休や三部勤務者の有給休暇については、所属長の承認があれば許される旨の意向を示した。

(五)  九月二五日、新勤務体制に関する説明会の開催をめぐって、有志代表と原告との間で次のようなトラブルが発生した(これが「九・二五トラブル」に当たる。)。

(1) 同日、有志代表は、九月二二日に原告回答に示された説明会が開催されるものと判断し、午後四時五五分ころから午後五時過ぎころまでの間に、当日の一部勤務を終えた杉田、被告補助参加人石井和男(以下「石井」という。)、善場、日勤を終えた橋本、二部勤務中の黒崎、柏崎、三部勤務を控えた長崎、鈴木、羽野、千葉の有志代表全員が構内の第一守衛所付近に集結した。守衛からの連絡を受けた大久保人事部次長は、直ちに守衛所に赴き、説明会や団体交渉の開催を求める有志代表に対し、「団交の約束はしていないし、説明会についても、出席者の氏名の提示がないので開かない。もし、団交なり説明会を要求するならば、正規の手続きを経て申し入れなさい。」と告げ、二部勤務の黒崎、柏崎に対し職場に戻るように命じた。しかし、有志代表は、これに承服せず、説明会や団体交渉の開催を要求したのに対し、大久保次長が「説明会をしない説明を一五分だけ行うので、二人だけ来るように」と答えたが、有志代表は、これを無視し、押し問答が繰り返された(なお、原告は、「押し問答が繰り返された」との事実に関して、そのような生易しい状況ではなかった旨を主張するが、午後五時ころから一一時ころまでに現れた当日の全状況を前提として右短時間の状況を問題とするもので、適切ではない。)。

(2) 午後五時一〇分ころ、能登谷人事部第二課長、川上同第三課長は、大久保次長が有志代表に取り囲まれているとの連絡を受け、第一守衛所に駆けつけたが、結局、守衛が大久保次長と有志代表の間に割って入ったことから、大久保次長は囲みを離れることができ、一旦、二階事務所に引き上げた(守衛が割って入ったため大久保次長が囲みを離れることができたことについては、《証拠省略》によって認めることができる。)。

(3) ところが、こんどは染野部長、前田課長らが第一守衛所付近で有志代表らに取り囲まれたため、事務所にいた大久保次長は、川上、能登谷両課長と共に同守衛所付近に駆けつけ、染野部長、前田課長に二階事務所に上がるように促すと共に、有志代表に対し、口頭で退去を命じた。これに対して、説明会の開催を要求する有志代表の中から「お前ら人間じゃないよ」「ふざけんじゃないよ」「ばかやろう」などの罵声が浴びせられた(原告は、「罵声が浴びせられた」などという生易しい状況でないと主張するが、《証拠省略》に照らし、採用することができない。)。

(4) 大久保次長は、再び有志代表に取り囲まれたが、これから抜け出して川上課長と共に二階事務所に入ったが、これを追いかけた長崎、橋本、黒崎、善場、石井、鈴木らが、二階事務所に通ずる階段踊り場で能登谷課長を取り囲み、「人間かお前」「課長になって嬉しいのか」「弱虫」などと罵声を浴びせた。その後、能登谷課長は、大久保次長らに救出されて二階事務所に入り内部からドアの錠を締めたが、有志代表の全員が、その後を追って二階事務所に至り、ドアをこじ開けて中に入った上、大久保次長らに対し、「社長に会わせろ」「説明会をやれよ」などと要求した。その際、ドアに組み込まれていた錠が壊れた(錠が壊れたことについては、《証拠省略》によって認めることができる。)。

なお、錠の破損については、その後、原告が組合と杉田、長崎、橋本の四名を相手取り、四五〇〇円の損害賠償の支払を求める訴えを提起し、第一審では請求認容の判決を得たが、第二審では、組合らが多額の費用とかなりの時間を要する鑑定の申立てをしたことから、裁判所の示唆を受けた原告が請求を放棄したため、結局、責任の所在が裁判上確定しないまま終了した(訴訟の経緯については、《証拠省略》によって認めることができる。)。

(5) 午後六時半ころ、一旦二階事務所から出ていた大久保次長は、約一〇人の職制や従業員を従えて現れ、事務所内にいた石井、千葉、善場、杉田の四名を門外に排除した。

一方、事務所内に残った長崎、橋本、黒崎、柏崎、羽野、鈴木の有志代表は、「五人でもいいから説明会を開くよう」訴えたが、大久保次長は、これを拒否し、口頭で退去を命ずると共に、本日の件は就業規則に照らして処置する旨を言明した。しかし、右六名の有志代表は、そのまま事務所内に滞留した。

(6) 右六名の有志代表は、当日の三部勤務者もいることから、その場で対策を協議し、組合としての立場からストライキを行うことを決め、同日午後一〇時三〇分ころ、橋本が大久保次長に口頭で通告し、更に、翌二六日朝に改めて、二七日午前七時までストライキを行う旨を文書で通告した(口頭でストライキを通告したことについては、《証拠省略》によって認めることができる。《証拠判断省略》)。

しかし、大久保次長は、口頭で退去命令を繰り返す一方、原告としては、正式の手続きを踏めば団体交渉にも説明会にも応ずる用意はあるが、今日は行わない旨を申し渡した。この間、労使間で押し問答が繰り返されたが、午後一〇時四五分ころ、原告は有志代表六名全員を門外に排除した。

(六)  組合は、昭和五一年九月二六日、原告に対し新勤務体制等を議題とする団体交渉を申し入れ、九月二八日、一〇月六日、一〇月一二日の三回にわたって交渉が開かれた。原告は、九月二八日の交渉では、新勤務体制の実施は原告の専権事項で撤回はしないが、三部勤務者の勤務時間が増える問題については検討中であること、一〇月六日の交渉では、新勤務体制については、大労組も賛成していること、三部勤務者の有給休暇取得等の新勤務体制の実施に伴う問題については、運用面で弾力的な扱いをすることを回答し、一〇月一二日の交渉では、組合の執拗な要求を受けて、一〇月五日付けで大労組との間で合意した弾力運用に関する要旨次のような内容の覚書を発表した。

「1、三部勤務は原則として七日間連続勤務とするが、やむを得ない理由による欠勤又は休暇はこの限りでない。2、年休は原則として一部又は二部勤務の日曜、月曜、火曜以外とするが、やむを得ない理由による場合は、この限りでない。3、原告が公休を指定するが、やむを得ない理由による変更は、部課長の許可を得る。4、新勤務体制の実施期間は昭和五一年九月二一日から向こう六か月間とする。5、勤務割表は、一か月前に掲示する。6、七日連続勤務の三部勤務者については、従来の労働時間を越える分は、賃金を補償する。」

(七)  原告は、昭和五一年一〇月一三日、前記九・二五トラブルを理由に、当時の有志代表の組合員である長崎ら一〇名に対し、被告の「認定した事実」の4の(3)の一覧表記載のとおりの懲戒処分を通告すると共に、始末書の提出命令を発した。

2  右の事実を基礎として、長崎らに対する懲戒処分及び始末書の提出命令が不当労働行為に該当するかどうかについて検討する。

(一)  九・二五トラブルにおける有志代表の行為は、構内及び二階事務所において、約六時間にわたり、大久保次長、能登谷課長らの管理職に対し、或いは、これらを取り囲み、執拗に説明会や団体交渉の開催を求め、抗議や罵声を浴びせるなどした上、ドアの錠を破損して大勢で二階事務所に入り、退去命令を無視して滞留したもので、行き過ぎがあり、それ自体としてみた場合には懲戒処分に値する側面のあることは否定できない。

しかし、翻ってみると、右トラブルは、原告が、さしたる必然性もないのに(1(二)でみたように、原告自身、社運をかけた緊急かつ抜本的な改善策をいいながら、新勤務体制を最小限度の改善策であると位置づけている。)、従前と比較してかなり厳しい内容の新勤務体制を一方的に発表し、大労組の組合員を含む検査課従業員だけでなく各組長までが反対をしたにもかかわらず、十分な説明や団体交渉も開かないまま、業務命令であるとして、発表から二日を置いただけで実施に移したことに発端があるのであって、むしろ、原告自らが原因を作ったといわれてもやむを得ないものである。特に、新勤務体制は、三部勤務者については公休も有給休暇もなく七日連続の勤務となり、一部、二部勤務者については有給休暇の取得が日曜、月曜、火曜以外の曜日に制限されるというもので、労基法三九条の規定に抵触する疑いがあり、労働条件にとって重大な影響のあるものであったから、原告としては、検査課従業員に対し、進んで新勤務体制の内容やこれを実施しなければならない事情を説明し、場合によっては修正に応ずる旨の態度を示す必要があったといわなければならない。しかるに、原告は、組合に対し、「品質不良による返品が多発するに至ったので、社運をかけた緊急かつ抜本的な最小限度の改善策として、検査課における検査工程の組編成を改めたものである」とする通告書を発したのみで、自ら説明の機会を設けることをしないばかりか(右通告書も、《証拠省略》から明らかなように、従来と比較して勤務の内容が厳しくなることやその対策などについては全く触れることなく、むしろ、組合がとった行動に対する非難や今後に対する警告の部分を多く含むものである。)、検査課従業員からの説明要求にも応じず、有志代表からの団体交渉の申入れを受けて開くことになった説明会についても、出席者を五名に限定すると共に、条件として設定した出席者の氏名が前日まで提示されないことを理由にその開催を拒否したのであって、右のような問題の重要性や原告が本来取るべき態度からすると、対応に誠意を欠くところがあったことは否定し得ない。

しかも、原告は、組合や有志代表に対して右のような対応をする一方で、大労組とは、トラブルの発生前に、説明会、労使協議会を開催し、その中で、新勤務体制に無理のあることを認め、公休や三部勤務者の有給休暇については所属長の承認があれば許されるという弾力的な運用の意向を示していたのであって、このような原告の態度は、同一企業内に併存する組合間の差別的取扱いといわれても致し方のないものである。そして、このような差別的取扱いは、トラブルの発生後においても、大労組との間では新勤務体制の弾力的運用に関する覚書を交わしながら、組合に対してはこれを秘密にし、執拗に迫られて漸く発表するというところにも現れている。

(二)  以上のほか、九・二五トラブルによって特に生産に影響があったとも認められないこと(《証拠省略》中には、総務部と人事部で残業ができなかったために、原告にとって重大な業務阻害があったとの部分があるが、具体的な内容は明らかでない。)、錠の破損は一連の抗議行動の中で偶発的に生じたとみてよいもので、損害額も四五〇〇円程度に止まること(これは、《証拠省略》によって認めることができる。)などを総合的に考慮すれば、長崎らに対する懲戒処分及び始末書提出命令は、九・二五トラブルの直接の原因が新勤務体制を一方的に発表し実施を強行した原告にあることを棚に上げ、専らトラブル当日における長崎らの個々の行為のみを取り上げて責任を追及したもので、処分の内容がそれほど重いものではないことを考慮しても、バランスを欠き公正でないといわざるを得ない。そして、前述した組合結成前後の状況やトラブルの約二か月前に行われた長崎、橋本らに対する配転との関連などを併せると、長崎らに対する懲戒処分及び始末書提出命令は、原告の嫌悪していた組合所属の長崎らを不利益に扱うと共に組合の弱体化を意図したものと認めるほかなく、したがって、労組法七条一号、三号の不当労働行為に該当すると解するのが相当である。

七  結論

そうすると、原告が、長崎、橋本の両名を配転したことは労組法七条三号、北原を配転したことは同条一号に各該当し、また、九・二五トラブルを理由として長崎らを懲戒処分にし始末書の提出を命じたことは同条一号、三号に該当するとした本件命令は相当であるから、その取消を求める原告の請求は理由がなく、排斥を免れない。

よって、本件命令の取消を求める原告の請求は、本判決主文の第一項の1、2記載の部分に関するものについては本件訴えを却下し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 太田豊 裁判官 田村眞 裁判官新堀亮一は、転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 太田豊)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例